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  FILL-STORY 温度差の絶対値 [2002.JUN]


 
 

往路

   冷たくなっていく心は、自分の体温の上昇に気付いて思い知る。
  言葉のひとつひとつが、突き刺す氷のように冷ややかに私を襲う。いつも痛む前に封じておこうと思うのに、決まって手後れになってから思い出す。切なさは増して、恋の終わりを肌に知らせる。

  初めての夜は羽田帰りだった。1週間東京を不在にしていた帰京間近、裕樹は待ち切れないカードで私を迎えた。前の晩に滞在先にまで携帯を鳴らして、さりげなく復路便を確認して。もうそろそろ東京に帰ってる頃だと思ったなどと、見え透いた嘘まで演出していく。
 到着口の柱の影でこっそりと待つ彼の姿を見つけた時、私は装いも忘れて喜んだっけ。もう、単なる飲み友だちではなくなっていた瞬間。裕樹の真っ向なオフェンスは勝利の道を突き進んだ。見果 てぬ夜の始まり。エモーショナルに喜びと満足を折り重ねた日々。すべてが私たちに味方しているのだと、運にゆだねた身の程知らずの逢瀬は続いて。気付かずに連なる怠惰は、落とし穴を仕込む。自らが落ちる穴だとわかっていても、草に群れる大地を踏まずにはいられない。浅はかにさまよう恋の渡航。陥いるにたやすい絶妙の誘惑。終わりに近付く足音など聞こえないように、気をそらすのに夢中だった。
  盲目に期待は大きくゆがんで、分かっていたはずの判断を狂わす。直感に従うなら、裕樹と深く関わるべきでないと、知り会って最初に感じていた。必然をほどほどにやり過ごし、たまに投合して交わす酒に楽しむ間がら。それ以上もそれ以下も、この組み合わせには向かないと思った。例えば虹の色を数える時、赤から数えるのか、紫からなのかでもめるとか。例えば濡れたアスファルトを踏み締めるスニーカーの音はキュッキュッなのか、ギュッギュッなのかで争うとか。それくらいに二人は違っていたのだ。

  虹をあおぐ二人の空を喜べれば良かった。雨模様の道は手を繋いで音を鳴らして歩めば良かった。それだけの現実に当事者達はいつも回り道をしてやり過す。幸福の決定権は、自分たちこそが持っているというのに。

  温度差は冷たさをはっきり感じ取る。何処にも測る術などなくても。無機質に響く音まで伝わる五感に、神経はあざなわれて、ごまかしすら通 じない。感じあった密な想いを幻にできるなら、砂漠で息絶えるように未来を失える。消えない足跡を残すように、心に刻まれて別 離は忍びよる。いっそのこと、一気に突き抜かれたいと身を投げ出して。切なさはよけいに肌に染み入る。
  裕樹は多分、優しいままに去っていくのだろう。温度を伴わなくなった心を怒りと悲しみに溶かす術すら見い出さないままに。花びらをひとつずつ落としていくように、時は静かに激しく進んで。すべてが枯れ果 てても、鼓動は鳴り続け、別れのセレモニーは音のない雨に浸すのだ。  別れるために出会う恋。感じるままに運命は過ぎゆく。人は出会う、恋は甘く。いつも、それでも。
     
 
復路
 

 恋のスパンは三ヶ月でいいと。泣き顔のような笑顔で彼女が言った。えくぼをはにかんで覗かせる笑みに、僕は苦さを心ににじませる。 溝に深くなぞられていたことなど知るはずもない。いつでも彼女は僕を迎え入れ、優しく暖かく、柔らかかったのだから。
  熱くたぎるように沸騰させて、想いは募る。人は図らずして心の炎を灯す。痛みを薪にしてたつ火柱に、輝いて温められ、恋の在り処など知らなかった僕に所在を示す。少年に戻ったのではなく、何も知らなかったのだと、人を想う度にひとつずつ体は覚えていく。恋の加齢は生きてきた歳に比例しない。彼女が今、少女のように映し出されて幼く弱く僕にもたれているように。
  傷つくことを招き入れて、心はあらわにむき出しになる。僕は触れる指さえためらって、何度息を飲んだかしれない。想いの扱いさえ、人は迷って行く道にたたずむ。

  とんぼを追い掛けている頃は、夕暮れも超えて遊び心は時を占領している。ふと、虫取り網もひざ小僧のすり傷も自分から消えていることに気付いて。かつての雑木林はもう区画整理された公園と化していた。素足で駆け抜けた獣道はもうないと知る。そんな夕暮れの扱いに迷った青い時代のように、人は恋に躊躇する。

「もう終りなのね」
 彼女は小さく言った。
「終るも何も…、」
 そこまで言って僕はそのまま口籠る。

  夏を祭った夜を思い出す。キャンプファイヤーの残り火がパチパチと音を立ててくすぶっていた。消えてゆく炎を、僕は遠くで眺めて、その火で花火を上げたら、きっと豪勢な夜になるのにと、悪戯な思いつきに水辺の明かりが消えないことを願った。

「冷たくなっていくあなたの心を、私は感じていたくない」
 彼女の言葉が炎にふれるように、僕の心に揺れている。

 行く言葉と迎える言葉。その間にどんな変換作用が働くのか、僕は火の熱に揺らめいて遮られた向こう側に視野を探す。 もしも、夜が昼の温度を冷ましても土は熱を残している。その土さえ冷えるほど外気が氷っても、炎は必ず立つ。熱が消える時など来ない。もしも、言葉が変換されて心が闇に呑まれていくなら、闇が明けるまで待てばいい。鎮火が流れを司るなら、わずかな炎を灯し続けていけばいい。痛みの薪だとしても、宿る灯火は絶やせない。

  恋は証を探して、印を火に託すことなのかもしれない。それが、もっと痛みを増すのだとしても、もっと冷たく心をやつすのだとしても。ただ、紡いでいたい。見果 てぬ炎を、ずっと灯していたい。僕はそれだけを願っていた。

     
  交路
   誰もが誰かと支えあって生きている。どんな孤独にさいなまれ、打ちひしがれていても、人は頼られずにはいられない。また頼っていなければバランスを失って、立つこともおぼつかない。もしも孤独が、一人ぼっちで生きていける道を育むなら、どんなにか救われるだろうか。そんな世界は寂しいだけの塊だけれども。

  裕樹の側にいたい、と彼女は思う。二人で得た喜びも悲しみももう、体の一部になっていた。何故、恋は、方割れの不在というそれまでの当たり前を、一夜にして人を不具者にしてしまうのだろう。心は冒されていく。裕樹がいなければ、呼吸の仕方さえ思い出せない。脳の指令塔はすべての権限を恋に委ねてしまう。無責任な欲望たち。失うことが怖いから、失って試す。生き延びる選択とは生きるほど残酷になる。
  信じる愛は、たやすく見つけさせない。永遠の楽園をさまようように探し歩いて流浪に費やす。あてなどないとわかっていても、諦める術を忘れて、ただ探し続ける。横たえて休む体は、宿った愛情を知ってまた先に進む。頼られて片割れにあふれ出す愛情を注ぐために。

  彼女は公園で裕樹を待つ。彼は時間には正確でこの3ヶ月一度も待ち合わせに遅れたことはなかった。彼女といえば初めて過ごした夜も含めて裕樹を待たせなかった日はない。でもその日だけは時間よりも随分と早くに着いて、ベンチに座って待った。決めなければならぬ 夜を意識せずにはいられなかったから。
  前の晩に散々だめな理由は討議した。そんな不毛な消耗は彼女の好みではない。どんなに言葉を重ねたところで行き着く先は、いかなる操作でも操ることなどできやしないのだから。

  肩を揺らして歩く姿が好き。どこから見てもすぐに裕樹だと彼女にはわかる。何故そんな癖まで覚えてしまうのだろう。いつも一緒にいた間には歩み寄れる余裕すらなかったのに。双子のように通 じ合う心。理解と不理解の交互。何故、離れていくのだろう。何故出会ったのだろう。

  支えあう想い。

  裕樹は彼女の手をとった。左側の道と、右側の道。交わったひとつが二人の先に続く。

「 いつまでも続く隔たり。遠く、深い溝。埋めていく術などみつからない。冷めていく心と温める心は双璧。温度差の両端に僕たちはいる。でも想いはひとつ。僕たちは求めあっている。埋められない溝を、埋められないままでも、一緒に歩む道はどこからでも続いている。僕は君といつまでも一緒にいたい」

  固く閉じた心は溶けて。距離は逆転を拒まない。深い溝は想いの深さに比例して、温度をつかさどる。

  長い一本道はたよりなく続く。行ってきたはずの帰り道なのに、心もとなく足下を危ぶませて、交わって重なり、また、歩んで。足跡の多さにその幅に気付く。道はどこまでも、果 てまでも、交差を重ねていく。

  求めあっている。支えあう想い。

  信じていよう。ひとつひとつを、積み上げていく理解。長い距離の先にある交路。その交わりを知った時、いつまでも関わっていくのだと、信念は生まれる。裕樹は彼女を抱き寄せる。いつまでも一緒にいよう。温もりが移って言葉はこぼれだし、永遠の愛を誓った。永遠など遠い世界だと思いながら、彼女は長い長い口づけを受け入れた。

  温度差の絶対値は、冷たくとも、熱くとも、恋する思いに最大であり続ける。頼りあい、支えあい、孤独は侵食されていく。

【END】
   
  フィル/ フロム・ジ・イノセント・ラブレター  
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