回り回り巡り巡って、見つけた場所はすぐ近くだった。そんな青い鳥のお話のような日々が人生かもしれない。
打たれて叩かれて、傷ついてくじけて、もう駄目だと絶望の縁で瀕死にあえいでも、欲しいものは欲しいと貫いていられないなら、いたずらに欲しがった自分を恥じるべきだ。
誰かを傷つけてでも進まなければならない時もある。誰かを心配させて悲しませても、行かなければならない道もある。断念や挫折を強いられる運命は、結果
の多くは自らで招いているものだ。誰のせいでも、運が悪かっただけでもない。
答えがみつからなくて出せなくて、苦しむ思いはどんな成功者も多かれ少なかれ過ぎること。おそらく人として当たり前に過ごしているのなら、その問いかけは人生を完全に諦めてしまうまで続いていくのだろう。人それぞれの折り合いの理屈の中で納得を得ながら。
過去、多くの哲学者や芸術家たちは、きっと同じ問いに自分を呈し、究極に、死すら惜しまずに選んできた歴史は横たえる。
ナツミは孤独や自死を悪とは考えない。
いや。
考えないでいられるよう、そのロジックを知りたかった。
思いついたばかりの言い回しに少しだけ滅入る気持ちを紛らわす。
もしたった今、失ったものを見つけらようとも、目的の場所に辿り着けたとしても、そこで終わるのではないともわかっていた。そこからまた新たな行く先が始まる。その繰り返し。
達成という言葉がどこにあるのか。ナツミのような性格はそれすら疑問のまま、窒息寸前の薄い空気の中で青息吐息に呼吸するしかない。
何もかもが色褪せてしまった世界。
今、巧の選択をどう自分に溶け込ませたらいいのか。秋は静かに心に沈む。
会いたい。と、忍ぶ。あの人に。
* * *
論点は、出会うきっかけが何故、そこに転がっていたのだろうか。という戯言。
臆千の人の渦の中で巡り会った運命。その一枚の落ち葉が肩に落ちるような突然さに人は戸惑う。その単純さに飽きれかえるくらいに歓喜する。
出会いは陽だまりであり、嵐であり、雹だ。熱く痛く激しく。
彼と出会えた日、記念日にできるほど不真面目ではなかったけれど、約束が欲しくなるほどナツミは堕ちぶれたわけだ。
堕ちると堕ちぶれる。
その差は大きな隔たりのようで、同じ巣窟の言葉の中にある。勝手に進んでしまう魂を疎ましく追いかけて恋に堕ちたと人は気づく。意思にそぐわない心たちは、奔放な世界へと堕ちぶれていく。
ほんの少し肩がふれあった瞬間に、出来事は始まった。たったそれくらいのことで、心の吹き溜まりは占領されていく。どんな暴風の中にいても必ずその到来は見過ごさせずに出くわさせる。狭い路地をすれ違った時に交わした接触。もしもその時同時に振り返らなかったら、ナツミと巧は結びつかなかっただろう。むしろ気になって引きつけあう力に引っ張られて、巧はナツミの方にかぶりを返したのだ。
「かねづか書店って。どこか知っていますか?」
巧の言葉は唐突でその場を繋ぎとめようと、思いつきで発せられているのだと思えた。あまりに謀のようで、ナツミはそのまま無視することもできたのだけれど、真直ぐな瞳を向けられた時、もう、判断は恋の指図のものだった。
「少し先を行った所の2つ目の方の路地よ。あなた方向を間違えてしまったんじゃない?」
「あぁ、そうか。ぐるぐるとこの辺を歩き回っていた」
「私もそっちの方向だから、どうぞ」
大通りから外れた、さびれた古本屋をわざわざ指名して探しにくるこの人に、胸騒ぎ以上に興味が湧いた。ナツミもまた、その場所をいたく気に入っていたから。
「心理学文献がよくあるとの情報を聞いて、行ってみたくなったんです」
「専門書の探し物ですか?勉強されている人なのかしら?」
「いや…」
一瞬巧の顔に曇りがよぎる。きっと初対面では踏み込めない線を超えてしまったのだろうと、察した。話しをそらしてしまおうと、返事など構わないという素振りで古本屋の外観などを語ってみせる。
「知り合いの人のね、好きな本の中にわりとそういう分野のものが多かったんです」
「古い知り合いだから、僕もいつか読みたいと思っていたので…」
「僕の専門では、心理などは縁遠い存在ですね」
当たり障りのない会話の間に、彼は律儀な返事を返して。察したカンは思い過ごしだったらしいと息を休めた。
けれど、ほんの一瞬の曇った表情の理由はそこからはみつけられなかった。
『かねづか書店』
曲がり角を曲がった時、年季のはいった看板は、ナツミたちの目前をはばかっていた。
* * *
「良かったら、一緒に本、探してくれませんか?」
今思えば、巧がこんなに大胆に誘える人だったことに驚いている。決して自分の感情をストレートに表に出せる人ではなかった。
「あいにく、これから予定があるのよ」
「あ、待って。ここに選んだ本の感想、送って」
小さな和紙風に抄かれたあさぎ色のメモ帳の端を破って、メールアドレスを走り書きにして巧に渡す。ナツミもまた、大胆な返事ができるタイミングを驚いた。言い訳に使った思いつきの機転に少し得意にもなって、頬は赤く染まっていたかもしれない。
その日の晩にすぐにメールは届いた。とてもあっさりとした言葉だったのに、動き出す動機はわずかな隙も、全く見逃さない。
「残念ながら、探し物は見つかりませんでした。急いではいないから、気長に探すようにします」
そこから先の展開は誰もが自然に通り過ぎるように当たり前だったと思う。メールから電話になり、再会して話して意気投合して。その続きは必ず約束事に繋がっていた。きっと自信に溢れた勝利者は約束など欲っしないのだろう。臆病さの証に約束とは存在するものだ。
どこかに結びつきを持った二人とは、結びつかないその他の部分などどうでも良くなる。たったひとつの繋がりに寄り添って時間を紡いでいける。最昇値への温度などすぐに上がって、満ち足らせる想いに惑わされて夜を超えていく。巧と過す時に不満はなかった。息の会った共演者とパントマイムを演じているように、ぴったりと呼吸をあわせて、鏡を写
しあっているように重なりあって。キスして。愛して。深く二人だけの未知の場所へと堕ちていく。
でも、ずっとナツミは気付かないふりをしていた。いつも張り付く不安を、隠し持ち続けた。結びついていないほんのわずかな隙間に、巧は、最初に会った時と同じ曇りを表に蘇らせる。できれば気付かないようにと、封じ込めていようと、心を砕く技は簡単だったとは言えない。鈍感な心というものに憧れるのはそんな時。天然に知らないでいられることこそ、感じないでいられることこそ、最大の幸福の要であるといつも思える理由。
ナツミの理想を語るなら、不安にさせない人を望んでいたのだと思う。ただ寄り添うことにすべてを許しあえるなら、実際の所、何もいらなかった。それ以外を何も欲しいと思っていやしなかったのだ。
「ねぇ、探していた心理書はみつかたの?」
人の欲とは、わかっていてあえてタブーを踏んでしまいたくなる。開けば闇への入口になるだろう扉を、堪えきれずに自ら開けてしまう。
「いや、あの本は、もういいんだ」
「もういい?どうしてなの?」
答えるよりも前に、巧は珍しく激しくナツミを求めた。ナツミは、そんな複雑なキスを喜びに変換できるチェンジャーが、自分の心にも常備されていればと、あぐねる。彼の愛撫を全身で受けることに夢中でいようと、想いを宙に浮かばせて。
[つづく]
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